ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

基本情報

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年3月18日更新

 

 

【大島町紋章】

大島町紋章外の輪から海岸線、三原山外輪、内輪山を示し、三角形は三原山の噴煙を表しており、風光明媚な大島を表現している。(昭和32年制定)

【大島町の花・木 つばき】

つばき全島いたるところに咲くやぶ椿は、その数300万本とも言われ、大島を象徴する木として昭和43年に「大島町の木」として制定。平成2年には「大島町の花」として制定された。

自然と文化が調和し、人間性豊かな島。

永田米太郎:大島節

伊豆大島は東京から120キロメートルの太平洋上に浮かぶ伊豆諸島最大の島です。御神火(ごじんか)様として島民に親しまれている三原山(標高758メートル)は山頂のカルデラ内に鎮座する中央火口丘です。
椿油や高級炭材で知られる椿や島の情緒を今に伝えるアンコ姿は昔から大島のシンボルとなっています。
大島には約8000年前から先住民が住んでいたことが明らかにされています。島の統治は古くは国造(くにのみやつこ)が、鎌倉時代は幕府直轄地として、以降室町、戦国、徳川時代を経て明治維新後は、韮山県、足柄県、静岡県、そして明治11年に東京府の管轄に移りました。昭和18年都政施行に伴い東京都に所属し現在に至っています。
終戦直後の昭和21年1月、大島は日本政府の行政から分離され、一時在日連合軍の軍政下におかれましたが、同年3月には復帰しました。昭和30年には旧6ヶ村が合併し「大島町」となりました。
昭和61年の三原山噴火以後整備された観測機器や噴火対策施設、総合溶岩流対策事業により、伊豆大島は「防災の島」としても脚光を浴びていますが、気候温暖で優れた自然景観は昭和39年に富士箱根伊豆国立公園に編入されて以来、海洋性自然公園の特色を生かした 「憩いの島」として、また首都圏に最も近くてスローライフを体験できるリフレッシュリゾートとして多くの人に親しまれています。

気象

海洋の影響を強く受け気温の較差が小さく、黒潮の流れのため温暖多湿な海洋性気候となっています。冬の季節風と春先の低気圧は風を、台風は多雨をもたらします。

人口

現在の人口は8,302人(平成26年1月末)ですが、昭和27年には13,000人を数えました。その後、昭和40年代に入り起こった離島ブームによる観光の活発化や、オイルショック等によるUターン現象で、再び上昇傾向になりましたが、不況による観光の停滞などで昭和50年頃からは微減を続けています。

地勢

中央部に位置する標高758メートルの三原山を取り囲む、全島面積91平方キロメートルの7割は山林原野です。しかし伊豆諸島の中では平地率が高く、開発が最も進んでいます。しかし島の97%が自然公園法によって開発が規制されているため、自然景観と生態系が十分に保護されています。

面積

総面積は90.76平方キロメートル。 東西9キロメートル、南北15キロメートル、周囲は52キロメートルです。

位置

東経139度21分から28分、北緯34度40分から48分

距離

東京から120キロメートル、熱海から46キロメートル、伊東から36キロメートル、稲取からは28キロメートルです。