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大島の史跡・石碑

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年11月2日更新

大島の史跡・石碑

元町付近

元町の写真【元町の地神~弘法浜の神様】
元町漁港から急坂を30メートルほどのぼった右手の森の中にある祠。屋敷神ではないかも知れないが、何を祀った祠かわからないまま、通称「弘法浜の神様」と呼ばれている。昔から恐い神様だとの言い伝えもある。元町の清水長治氏方では正月に、その年の干支にあたる置物と御幣を納め、家内安全、商売繁盛を祈願するきしたりになっているという。

稲荷大明神【稲荷大明神】元町
昭和11(1936)年頃、三原山登山道の一合目付近に祀られていたが、現在は浅沼常一氏の屋敷内に移されている。この神は一切の食物を司り、稲の生産豊穣を守護し、また商売繁盛の神としても、一般の信仰をあつめている。元町の鈴木福之助氏が刻した一対の石造りの狐は、稲荷大明神の神使とされている。

為朝の碑
【為朝の碑】

中村彝(つね)碑
【中村彝(つね)碑】
長根浜公園

土田耕平碑
【土田耕平碑】

大島の祝言像
【大島の祝言像】
郷土資料館

ハワイ島との友好の証
【ハワイ島との友好の証】
郷土資料館

為朝神社(頭殿神社)
【為朝神社(頭殿神社)】

大島元村教会 【大島元村教会】
明治44(1911)年に前浜に近いところに建設された。元町における布教の始まりはもう少しさかのぼるが、これが教会堂の始まり。その後昭和12(1937)年、今の場所に建てられ、さらに昭和58(1983)年には荘厳な現在の教会堂が建立された。
もとは基督教伝道の場だけではなく、保育園、料理講習会、講義・演説会場、元町大火に際しては町の救援物資貯蔵場所になるなど、多方面に利用された。

藤森成吉文学碑
【藤森成吉文学碑】
長根浜公園

野増付近

カッパの水【カッパの水】
ここには伝説がある。「昔、野増に大滝、小滝という美しい姉妹がいた。 ある日、姉妹は山へ薪取りに行った帰り、喉が渇いたのでツバイにある池に立ち寄った。その池は清らかな水をたたえ、いかにもおいしそうだったので、姉の大滝は両手で水をすくい口をつけようとしたとたん、引き込まれるように池の中に姿を消してしまった。驚いて走り帰った妹の小滝の話を聞いて、父の祢宜(ねぎ・神職・神官の総称)は大いに悲しんだが、カッパに引かれたのなら村人のためにも封じ込めなければと考え、満月の夜池の縁で一心に祈祷したところ、カッパが現われ“私の安住の池の水を飲み涸らそうとする村人をこらしめるんだ”と叫んだ。そこで祢宜が子孫に語り伝え、水を飲むことはもちろん、水を涸らさないようにすると約束したところ、カッパの姿はかき消すように見えなくなった。」以来村人はどんなに水に困っても、この池の水は使わなかったので今でも昔そのままの姿を見ることができる。
                                                  【参考資料】「島の史跡~大島編・続大島編」東京都教育庁大島出張