トッピック ニシキウズ科(1)-4

ニシキウズ科
 約1年、ホームページの図録はお休みしました。「どうしたんだ」「体調が悪いのではないか」「ついにボケたか」等々お叱りやらご心配やらを頂きましたが、いよいよ再開いたします。この間、貝の博物館「ぱれ・らめーる」は、大島元町から波浮港に近い差木地クダッチに移転し、2007年12月22日にオープニング・セレモニーが盛大に挙行されました。
著者も式典に招待され出席いたしました。大島へのアクセスはいろいろありますが、JR浜松町駅に近い竹芝桟橋からジェット船を使うと1時間45分で大島に到着します。この船は三浦半島の久里浜に寄る便もあり、この時は15分余計にかかります。こんなにアクセスの良い大島ですので、是非お出かけ下さい。
新貝の博物館、大島町藤井町長を囲んで、左端:三木館長、右端:著者
80.ハブタエシタダミ Talopea  
vernicosa (GOULD)
 父島(福田宏 1993)。殻径約
1cm、殻表は平滑、赤色や暗緑
色の斑が並ぶ。次種キヌシタダ
ミニ比べ、螺塔がやや高く臍孔が
狭く、殻口軸唇から舌状突起が
あります。分布は紀伊半島以南
 写真は奥谷喬司(2000)。
81.キヌシタダミ  Ethminolia stearnsii (PILSBLY)
 大島波浮港(1967)、殻径約1cm、春の大潮時干上がる砂礫場に群生。螺状は細く成長脈と交わり絹布状になり光沢があります。蓋は丸く角質で薄く茶色。殻を掴むと激しく身体をくねらします。殻長13mm。分布は紀伊半島以南。写真は大島波浮港産。
82.オヨギシタダミ  Ethminolia nektonica (OKUTANI)
 父島84mにて死殻7個体採集。但し種名検討が必要の記述がある(福田宏 1993)。殻径約1cm、殻表は細い羅肋で臍孔は広い。軟体部が大きく泳ぎ回ることから、この名前が付いています。分布は駿河湾〜九州西岸。写真は和歌山県南部産。
83.ハナゴショグルマ  Ethaliella floccata (SOWERBY)
 父島二見湾42m(福田宏 1993)。殻径約1cm、殻形は低い円錐型、殻表は平滑、赤い斑紋が美しい。分布は紀伊半島〜沖縄。写真は愛知県佐久島産。
84.タカラシタダミ  Gaza sericata KURODA
 八丈島(草苅正 1996)、銭洲84mにて生貝1個、瓢箪瀬135-140mにて生貝2個、高洲170-190mにて生貝1個採集(奥谷喬司 1972)、黒瀬190m生貝1個(奥谷喬司 1975)。殻色は淡緑色で白色と褐色の放射彩があり、底面は白色の小斑紋がある。口内は真珠光沢。分布は相模湾〜東支那海。写真は千葉県銚子産。
85.ヒナシタダミ  Conotalopia ornate (SOWERBY)
 八丈島(葛西重雄 1968)。殻径約5mm、殻は薄質、殻表は平
滑でやや角ばる。分布は北海道南部〜九州。写真は奥谷喬司
(2000)。
86.ヘソワゴマ  Monilea belcheri (PHILIPPI)
 小笠原父島宮の浜、春先ヤドガリ類が産卵のため磯に密集するが、この貝を背負っているも
のが多い。父島36-84m(福田宏 1993)。殻径約1.5cm、殻表は白地に褐色の斑が並ぶ、分布
は紀伊半島以南。写真は小笠原父島宮の浜。
87.コノボリガイ  Rossiteria nuclea (PHILIPPI)
 八丈島横間沖の砂より多産。小笠原父島二見湾42mにて死殻4個体(福田宏 1993)。
殻径約1.5cm、分布は千葉県館山湾以南。写真は八丈島横間沖の揚砂産。
88.カトウシタダミ  Microgaza katoi (KURODA & HABE)
 大島千波100mにて死殻1個体、殻径19.5mm。八丈島510mにて死殻1個体(奥谷喬司 
1964)、黒瀬190m生貝1個体(奥谷喬司 1975)。殻径約2cm、殻表は平滑、淡い褐色、殻底は
白色。分布は遠州灘〜九州西岸。写真は大島千波沖産
89.スハダシタダミ  Microgaza iridescens (HABE)
 伊豆諸島沖(肥後俊一 1993)。殻径約2cm、前種カトウシタダミに似ていますが、本種は体層部まで縫合下に刻み目が並ぶ。分布は遠州灘〜九州西岸。写真は奥谷喬司(2000)。
90.ヤガスリシタダミ  Microgaza ziczac (KURODA & HABE)
 瓢箪瀬115-145mにて生貝2個体、高瀬140-180mにて生貝1個体(奥谷喬司 1972)。
分布は銚子沖〜九州西岸。写真は奥谷喬司(1983)。
91.ヒカリシタダミ  Microgaza fulgens DALL
 高瀬95-100mにて生貝1個体、死殻1個体(奥谷喬司 1972)。殻径約1cm、縫合下に褐色斑、殻底は白色。房総半島〜九州。写真は和歌山県串本沖産。
92.ヒラヒメアワビ Stomatella planulata (LAMARCK)
 神津島にて死殻1個体採集しました。小笠原(倉田洋二 1969)。マリアナ諸島には普通(黒住耐二 1994)。アワビ型をしているが孔列はありません。殻色は暗緑色または帯緑黒色で内面は真珠光沢。沖縄等南の磯に多い貝で、貝殻の美しさから、ついつい採集してしまいますが、捕まえると腹足の後端を自ら切り落とす(自切)行動を示すことがあります。これは、トカゲが尻尾を切る行動と同じと考えます。自切行動は次のヒメアワビでも見られます。分布は伊豆半島以南。写真は奄美大島産。
93.ヒメアワビ  Stomatella varia (A.RDAMS)
 八丈島横間揚げ砂より多産、小笠原打上げ採集。三宅島にて生貝採集(手塚芳治 1996)、マリアナ諸島には普通(黒住耐二 1994)。アワビ型をしていますが孔列はありません。殻色は主に紅褐色、内面は真珠光沢。分布は伊豆半島以南。写真は八丈島底土産。
94.アシヤガマ Stomatolina rubra (LAMARCK)
 大島にて生貝採集、殻長23.8mm。八丈島(葛西重雄 1982)、小笠原兄島(福田宏 1993)。形状は体層が非常に大きいアワビ型、殻表肩部に強い2本の螺録があります。殻色は黄褐色・赤褐色・紫紅色・茶褐色等種々あります。内面は美しい真珠層。軟体部は殻より大きい。同様にアワビ型のアシヤガイを前述(ニシキウズ科1)しましたが、大島喜平次(1993)は次のように同定のポイントを述べています。分布は房総半島以南。写真は大島産。
アシヤガイ
アシヤガマ
ふたがある
ふたが無い
殻は汚れた淡褐色
殻色は紅色が多い
黒斑の螺肋がある
肩が角張り顆粒列
95.フルヤガイ  Stomatia (Stomatia) phymotis HELBING
 父島境浦にて生貝2個体採集(殻長20.4mm、17.4mm)、死殻は多産。アワビ型、殻表は太い螺状肋が2本あります。殻内面は真珠光沢が強い。分布は駿河湾以南。写真は小笠原産。
96.クジケアシヤガイ  Stomatia (Microtis) hecheliana  CROSSE
 父島および母島(福田宏 1993)。分布は奄美以南。写真は奥谷喬司(2000)。
97.クモリチゴアシヤ Synaptocochlea concinna  (GOULD)
 父島宮の浜、母島桐浜(福田宏 1993)、マリアナ諸島(黒住耐二 1994)。写真は福田宏(1993).
98.カタベガイ Angaria atrata (REEVE)
 伊豆諸島に普通、小笠原では兄島で大型のものを1個体採集したのみで少産。殻は重厚で、殻頂は平巻き、肩角上に棘状の突起・結節があります。普通殻に石灰類の着生が多く、標本にするには一苦労します。体層は大きく殻口は円形で、内部は真珠層。蓋は薄い角質の円形で多旋。写真は三宅島産(手塚芳治)。カタベガイ科。
カタベガイ科の国内産は種類が少なく、全てを揃えることは容易です。この種類で、ショウジョウカタベ、キナノカタベをフリッピンで入手した時は、その形状の不思議さに感嘆しました。こんな形状ということで写真を付加えました。
ショウジョウカタベガイ                キナノカタベガイ
葛西重雄先生
 今迄この図録を見られ方は、葛西重雄(1968)、葛西重雄(1982)が頻繁に引用されていることに気付かれたことと思います。葛西先生は、昭和35年都教育庁八丈出張所に赴任されました。葛西先生のご専門は国語・漢文・書道と伺っていましたが、八丈島の歴史・地理・風俗・習慣さらには動植物の分類と博学的視野でご活躍されていました。私は昭和39年(1964)都八丈支庁に赴任しましたが、在任中、各分野のご指導を頂くと共に、特に貝類採集は強力なライバルとして採集成果を競い合いました。私は昭和41年に八丈島を離任しましたが、葛西先生は昭和43年に八丈島動植物総目録を刊行されました。葛西重雄(1968)。総目録の内容は、羊歯類・被子裸子植物・地衣類・海藻類・鳥類・魚類・頭足類・甲殻類・海産貝類・非海産貝類・昆虫類・蜘蛛類・爬虫類です。
その後、葛西先生は昭和48年、三原中学校の校長として再度八丈島に赴任され、昭和52年退職後は大賀郷に居を構えられました。
昭和57年、八丈島に天皇・皇后陛下行幸の折、貝類に造詣の深い天皇陛下に、八丈島の貝類を「八丈島歴史民俗資料館」にて天覧しました。その折、「八丈島貝類目録」が葛西重雄・石井正徳・菊池健共編で出されたものが葛西重雄(1982)ですが、残念ながらプリント版です。目録の貝類種数1,284種(腹足類1.121種、斧足類163種)、展示931種です。
本目録の種類数は、今まで出された目録に比べ、非常に多い種数であり、この種数増加は、八丈島飛行場拡張工事に伴う海底からの揚げ砂に由来しています。
平成元年、再度八丈島に勤務した都水産試験場八丈分場から転出、ご挨拶にご自宅に伺ったおり、目の前で一筆書いていただいた「心水の如く」は、今も手元にあります
「残存した揚げ砂の前で、葛西先生(左)と著者(1983年頃)」
    葛西先生の書




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