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別名サザエ科、頑丈な殻を持ち大形となるものも多い。殻の内面が真珠層であることは、ニシキウズ科と同じですが、ニシキウズ科の蓋が角質で薄いのに対し、本科の蓋は石灰質で重たい。サザエの壷焼は、あまりに有名です。 |
リュウテン科 |
1.タツマキサザエ Turbo (Turbo) reevei PHILIPPI
殻表面は平滑で光沢があります。赤褐色の地、肩部に白色放射彩と白斑があり、数条の黒褐色帯をまきが、色彩変異もあり黄橙系色の無地のものもあります。蓋は石灰質類円形で凸盤状。蓋の色は基本的には白色。
著者は1966年6月にテングサの調査で三宅島に初めて渡島しました。調査はフーカー式潜水器漁船を傭船し、水深20m附近のテングサ生育状況の調査でしたが、その折殻高8cmのタツマキサザエを入手しました。その後の渡島の度に、およそ10個体ほど見ることが出来ました。漁業者の話では、三池浜沖で良く見かけるとのことです。
与論島の方言では「ヤンクスミ」、オールドミスという意味で、この貝が群生せず単独で生息するためと言われています(荒俣宏一 1944)。分布:九州西岸以南。
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2.リュウテン Turbo (Turbo) petholatuus LINNAEUS
八丈島(葛西重雄 1968)。前種に似ていますが、一番の相違点は蓋で、本種は通常濃緑色で下方に顆粒があります。前種はエナメルを塗ったような白色。また、体層は前種の方がくびれています。美麗な貝です。
漢字では竜天。赤褐色の表面に、幅4mmほどの緑がかった帯が巻いています。良く膨れた体層だけでなく、この帯は螺層まで巻き上がっています。しかも帯には淡色のジグザク模様があります。これを竜と見て名付けたことは納得されます(白井祥平(1997))。正式にはタツマキサザエと同様リュウテンサザエですが、この名称は普及していなません。分布:種子島以南。 |
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パプアニューギニアのビーズベイで(三木撮影:12/20)
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3.ヤコウガイ Turbo (Lunatica) marmoratus LINNAEUS
殻は頑丈頑健大型で殻径20cmと大型になります。体層に鈍い結節肋が3条あります。殻表は緑色で数条栗色帯があり白斑を交えるが老成すると緑系の1色となります。蓋は円形白色の凸板状で、内唇側が厚く、殻は内面の真珠層が極めて厚い。
ヤコウガイは琉球王朝時代(沖縄県)の1425〜1691年、すなわち明代と清代の中国に向けた朝貢貿易の輸出品として、その殻が重要でした。明治12年以降は、ヨーロッパに輸出されるようになり、1889年の247トンがピークで以後減少しています。なお、ヤコウガイの殻重量から、蓋と軟体部を含む全重量は、殻重量に1.7を掛ければ推定出きます。産卵行動はサザエと同様ですが、受精卵は半日あまりでトロコフォラ幼生の形状で孵化し、2-3日で付着して変態します。成長は1年で殻径2〜3cm(山口正士 1995)。
1980年4月3日、東京都小平市の河野和昭氏、八丈島小島の小地根の岩場でダイビング中、水深27mでヤコウガイを採集。本個体は水産試験場八丈島分場に寄贈されました、大きさは殻高13.2cm、殻径12.5cm、重さ600g。ヤコウガイ幼生の浮遊期間は2-3日と短いことから、どのような経路で八丈島に幼生または稚貝がたどり着いたかは興味があるところです。本海域唯一の採集記録と思われます。 |
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ヤコウガイの身を抜いて蓋をはずす。(石垣島にて:西村)
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ヤコウガイの殻は昔から螺鈿細工に用いられています。特に有名な話は岩手県の中尊寺金色堂の修復で、昭和29年から3年間に500個体使用されました(白井祥平 1997)。また修繕時の使用量から建設(1124年完成)には10万個以上のヤコウガイが使われたと推測していますが、これだけの漁獲があったかどうかの資料は残っていません(佐藤有文 1985)。
ヤコウガイの切手は琉球で発行されています。沖縄県は日本の敗戦の後、アメリカの支配下となり、1952年4月1日に政府が樹立され、1972年5月14日迄の間琉球政府と呼ばれていました。 切手は1948年7月1日から1972年4月20日まで発行されました。ヤコウガイの切手は、1967年―68年に、貝シリーズとして5種(チョウセンフデ・ホネガイ・スイジガイ・ヤコウガイ・ベニソデガイ)が発行され、いずれも額面は3¢でした。
著者は日本復帰の年、7月31日〜8月10日の間、待ちに待った沖縄の海と貝を、自分の目で見たいと、当時勤務していた伊豆大島から旅立ったことを思い出します。この採集旅行は、東京都生物研究会主催で、各専門分野の先生方の集まりでした。貝の分野では、大山桂・志村辰夫・森田登・成毛光之・草刈正の諸先生とご一緒に行動させて頂きました。 ヤコウガイは石垣島の漁港で身抜きをしている現場を視察し、貝殻の入手のほか、捨てられている蓋を入手しましたが、蓋の重さは約200グラムもありました。 分布:種子島以南。 |
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4.マルサザエ Turbo (Marmarostoma) setostus GMELIN
殻形・肋・殻色共にチョウセンサザエに似ていますが、丸みのある円錐形。蓋は白色。
マルサザエは北硫黄島を代表する貝です。北硫黄島は東京の南東約1,170km、父島南西221kmに位置し、島の大きさは東西2.1km、南北3.3km、周囲8.0kmで、島内には北に清水峰〔666m〕、南には小笠原諸島で2番目に高い榊ケ峰(792m)の2峰のある楕円形の島です。1944年の強制引揚当時、石野村・西村の2ケ所に17世帯90人が居住していましたが、以後無人島です。今でも当時を偲ばせる住居跡にバナナ等を見ることができます。 |
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マルサザエの漁獲記録は1927年からあり、最多年8.4トン、平均3.4トンで、当時はボタン材料として貝殻のみを利用していました。小笠原島庁が軟体部を缶詰にして好評を得ましたが企業化するまでには至りませんでした(倉田洋二他 1969)。
西村の北側には小笠原諸島随一のリーフが発達しており、マルサザエが群生しています。マルサザエの生息量の多い岸近くで、1m×1mの枠取りを2ケ所行ったところ17個体でした。マルサザエの大きさはランダム採集した397個体についてみると、平均殻高7.3cm(範囲5.2〜8.5cm)、平均体重131.8g(範囲45〜220g)でした(西村和久 1987)。
北硫黄島のマルサザエは、夏季観光用に父島に大量に持ち込まれ、主に壷焼として賞味されていますが、可食部となるとサザエの29.6%に比べ17.4%(体重50g未満32.3%、50〜75g18.8%、100〜125g17.5%、125〜150g13.6%)と極めて少なく(西村和久 1988)、貝殻の利用を考慮しないともったいない気がします。なお、食用後捨てられた貝殻を海で見ることがありますが、父島には生息はしていないようです。
父島への移植は何回か行なわれていますが、生息水深が浅いことから、短期間に取り尽くされてしまうようです。海のレジャーが下火となる時期の放流事例を見ると、1979年11月2日、父島北西に位置する西島海岸に大きさは平均殻高5.8cm、平均体重62.1gのマルサザエを938個体放流し、その後11月12日の調査では101個体、39日目の12月21日にはスキューバ潜水で239個体を再補しました。再補個体はほとんどが放流地点附近(水深2m)に生息していました(青木雄二 1988)。
マルサザエの種苗生産は行われていませんが、東京都小笠原水産センター(1990)は、9月14日に温度刺激により受精卵を得ています。この時の水温は28.5℃でした。
分布:沖縄・小笠原諸島以南。 |
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北硫黄島のリーフを調査する
←リーフのマルサザエ
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5.チョウセンサザエ Turbo (Marmarostoma) argyrostomus argyrostomus LINNAEUS |
殻は重厚堅固。螺肋は太く隆起し体層で20条内外です。特に肩部と底附近の肋は強大。色彩は淡い黄褐色の地に褐色の雲彩があります。蓋は凸板状で顆粒のある淡褐色。
伊豆諸島・小笠原諸島に広く分布しますが、漁業対象となるほどまとまった生息は見られません。チョウセンサザエは朝鮮には産しないため、チョウセンは、朝鮮の地域とは関係なく、本邦産の近似種と異なるため「エキゾチック」であることを「朝鮮」と表現しました(岡本正豊 1997)。著者は、本種の生息生態から「干潮線」に棲むサザエの意味と考えていました。
小笠原のチョウセンサザエは美麗で、ついつい採集してしまいますが、群生はしないようです。本種は小笠原の更に南の火山列島(北硫黄島・硫黄島・南硫黄島)にも生息します。
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←父島のチョウセンサザエ |
@南鳥島のチョウセンサザエ
南鳥島(別名マーカス島)は、東京の南東1700kmにあり、北緯25°58′、東経158°58′に位置し、島の大きさは1ku、島の最も高い場所で海抜8mの平らな島です。南鳥島を代表する貝は、見事な棘列が螺肋上にあるタイプで、波部忠重(1980)は、この形をMarmarostoma argyrostomus argyrostomusとし、奄美・沖縄の棘列の無いものをMarmarostoma argyrostomus marugaritaceumと区別しています。
1980年、東京都水産試験場が調査指導船「みやこ」(127.3t)により、島の北西側リーフ内の生物調査を実施しました。この時の水温は27.9〜28.2℃でした。チョウセンサザエの採集は31個体で、平均殻高8.1cm(範囲4.5〜9cm)、平均体重161.4g〔範囲32.1〜221.5g〕でした。
1978年10月〜1979年1月まで、気象庁技術専門官として南鳥島に勤務した井部良一氏の話を聞く機会がありましたが、チョウセンサザエはリーフ内の棚や岩の下に拾うようにあったが、食用や土産などに活用され、1982年頃には1時間泳いで20個体ほどしか採集できなくなったとのことでした。
1988年に左官として渡島する人に依頼したところ3個体を冷凍にして持ち帰ってくれましたが、その話でも生息量が激減しているようでした(西村和久 1992)。 |
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南鳥島(別名マーカス島)
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A沖の鳥島のチョウセンサザエ
沖の鳥島は、東京の南1700kmにあり、北緯20°25′、東経136°04′に位置し、マリアナ群島ウラカス島と同経度にあります。干潮時には東西4.8km、南北1.7km、周囲11kmのナス形の環礁が姿を現しますが、満潮時には2つの岩が水面上に残るのみです。この2つの岩は、それぞれ北露岩・小岩と呼称されています。こ島が1977年漁業専管水域の設定により、周辺海域約40万kuの専管水域が生じるなど、沖の鳥島は近年話題を集めています。1979年、東京都水産試験場が調査指導船「みやこ」(127.3t)により、リーフ内の生物調査が行なわれ、チョウセンサザエの生息を確認しています。南鳥島と異なり小笠原に生息するタイプです(西村和久 1992)。
分布:種子島以南。 |
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沖ノ鳥島
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6.キングチサザエ Turbo (Marmarostoma) chrysostomus LINNAEUS |
小笠原諸島に分布(肥後俊一1993)とあるが、採集記録は見当たりません。1979年にフイリッピンのセブ朝市で、食用として売られている本種を見つけ購入しましたが高価でした。その後の磯採集で多数採ることが出来、購入を後悔した思い出があります。殻口内は黄金色の真珠光沢が輝き、蓋は石灰質白色で表面は平滑。美しい貝です。
分布:沖縄以南。
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7.コシタカサザエ Turbo (Marmarostoma) stenogyrum FISCHER |
伊豆諸島に多産。殻高3cm前後。サザエの幼貝とくらべると、螺塔が高く、体層のくびれが強く、殻が固い、蓋に棘が無い。殻の色は多彩でイロサザエとも言われています。特に、宮古島八重干潟の個体は美しく、ついつい採集してしまいます。食用にはしません。
分布:房総半島以南。
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8.ニシキサザエ Turbo (Callopomella) excellens SOWERBY
三宅島テングサ干場(手塚芳治 1996)。殻高2.5cm前後。前種に殻は類似するが蓋があれば識別は容易。ニシキサザエの蓋は表面に渦巻状の彫刻がありますが、コシタカサザエの蓋は表面に弱い顆粒があるも平滑。著者が1950年代、紀伊長島のテングサ干場を訪れた時は、本種を多量に採集しました。 分布:伊豆半島〜九州西岸。 |
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9.サザエ Turbo (Batillus) cornutus LIGHTFOOT
サザエは外洋性沿岸海域に分布し、主に水深30m以浅に生息しますが、小型貝(幼年群)は、水深2m以浅に多く、成長と共に沖合深場に移動します。伊豆諸島では主に三宅島以北に生息しています。三宅島は分布の南限にあるようで、生息しない年の方が多いが、かつては三池浜にサザエの缶詰工場が出来るほど漁獲量があったとの話を聞いています。伊豆諸島におけるサザエの漁獲量は年による豊凶が激しく、1932年の446トン、1953年の250トンと獲れた年もありますが、1962年頃は漁獲統計に乗らない年もありました。近年は50トン前後の水揚げとなっています。 |
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八丈島へのサザエの移植は、1936、1960、1961年に東京都により実施され、成長が良好であることから、1962〜1964年に東京都の補助事業として600kgのサザエを伊豆半島から移植しました。成長は良好で大型化しますが、繁殖した様子は無く二次生産は期待出来ませんでした。
サザエの餌は、伊豆諸島では主にテングサ等の紅藻類です。
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著者達は、昭和40年代にフクトコブシ・アワビ・サザエの種苗化試験(人間の手で卵から育てる技術の開発)に取組みましだが、サザエの成功は1971年です。8月から9月に親サザエを水槽に収容し、温度刺激により卵を産ませました。産卵期におけるサザエの生殖腺は雌が緑色で雄は乳白色です。精子の大きさは頭部2μ、中片5.5μ、巾2μ、尾部60μです。受精卵は246μ(範囲231〜262μ)。およそ受精後30分で第1分割が起こり、5時間でMorula stage、7時間でGastrula stageとなり11時間で孵化します。孵化時の担輪子幼生(trochohore Larvae)の大きさは0.20×0.17mm、30時間後の被面子幼生(Veliger Larvae)の幼殻は0.28×0.21mmで遊泳生活を続けます。4日頃から這い回る個体も出現し、背面より観察すると幼殻の口部が喇叭状に広がり、周口殻は6日目頃より認められます。28日目の大きさは0.71×0.50mm、肉眼では黒褐色部分のある白色の点として認められます。飼育下では1年間に13mm位に成長します。飼育の餌は当初付着珪藻、その後アオサを与えますが、サザエはアオサを与えても貝殻はアワビ・フクトコブシのような緑色とならず灰白色となります。これはワカメを餌にしても同色でした(西村和久1970)。
1988年9月、東京都水産試験場大島分場で種苗生産した稚貝を1990年6月、サザエの分布しない小笠原に輸送しました。この時の大きさは、殻高2.9cm、体重6.8gでした。乾燥昆布を餌として飼育したところ、1992年10月に受精卵が得られました。水温27度において、サザエが性的に成熟し、産卵を行い、少なくとも浮遊幼生まで正常に発生することが確認されました。この事例は、サザエの分布の制限要因を考える上でも貴重な記録です(東京都小笠原水産センター 1997)。(サザエの種苗生産に関する施設等はミミガイ科フクトコブシ種苗生産の項を参照してください) |

放卵
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放流した人工稚貝が岩の隙間にもぐりこんでいる
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人工稚貝
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伊豆諸島のサザエには棘がありますが、産地によって棘の無い個体もみられます。棘の有無は
生育環境によるもので、波浪の激しい外海にすむサザエは、いかめしい棘が体層では2列になっ
て長く突き出ており、内湾の浪静かなところでは棘が短く1列になり、または全く棘が無くなってい
ます(吉良哲明 1959)。
サザエの種苗化試験に取組んでいるときは、毎年何百個体もサザエを見ていましたが、その足
の裏を見て驚いたことがあります。足の裏は、歩き出すと2つに別れており、丁度人が内股に歩く
ようです。ガラス水槽の壁を歩く姿が実にユーモラスでした。 |

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大島のサザエ(有棘)と瀬戸内海淡路島のサザエ(無棘) サザエの足の裏 |
サザエの最大個体についての文献は無いようです。著者が体験した大サザエは、1975年頃、大
島北部の乳ケ崎沖に潜水した時で、調査目的はテングサの生育状況調査でした。潮流を気にし
ながら水深20m附近を移動していて、ふと岩の横を見ると子供の頭ほどの岩塊があり、突いてみ
るとサザエでした。気をつけて周りをみると、この大型サザエが多数見つかりました。水中では大
きく見えるが、これが著者の見た最大個体のサザエであり、測定をしておくべきだったと後悔して
います。この場所は常に潮が早く、めったに潜水調査を行わない場所で、潜水調査は、この時が
唯一の機会でした。
サザエとギンタカハマ(前出:ニシキウズ科)は式根島付近に分布の境界があるようで、著者は
同島御釜湾で年により両種が交代で出現するのを観察しています(西村和久 1990)。
サザエは漢字で「栄螺」と書く。語源として、「サザ」は、さざ波、さざれ石、ささめ雪等小さいこと
を表し、「エ」は家のことで、サザエとは小さな家を意味しています(岡本正豊 1997)。但し、英名ト
ップ・シェルは独楽(こま)の意味です。
荒俣宏一( 1944)によれば、サザエは縄文時代・弥生時代の遺跡から出土しており、延喜式
(927)にも名が見られるように、古くから宮廷に献納されていました。また壷焼の起源は縄文時代
早期(紀元前6000〜5000年)ごろまで遡ると言われます。
サザエの切手が昭和42年に「魚介シリーズ」12枚の1枚として発行されています。立派な図柄で
すが、貝の専門家が見ると実際のサザエとは次のように異なっています。@サザエは上下の棘の
列が離れていますが、切手の絵は互いに接して出ています。A切手の絵は、棘の上には水管が
両側から狭まって出来た筋がありますが、サザエは必ず殻口の方に向いています〔波部忠重
1967〕。 |
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食べ方は、サザエといえば壷焼。蓋を上にして火にかけグツグツ言い出したら醤油をさし、煮汁が無くなると出来上がり。刺身は、磯の香りとコリコリとした歯ごたえを楽しみます。小さなサザエは茹でて食べます。この場合、口部にある歯舌を取り、ビラビラの外套膜は苦味が強いので取り除いた方が良い。なお、食べる場合は生きているものを選ぶ、死ぬと腐敗が早いので、冷蔵庫には長く入れておかない。 分布:北海道南部〜九州。 |